学生A。

読書が大好きな大学二年。

「マインドフルネス瞑想」のススメ。その二。

こんばんは、ロウです。

 

今日は、昨日に引き続き、「マインドフルネス瞑想」のやり方と効果について考察していきたいと思います。

 

最初僕が瞑想のことを本で読んで知ってから実践し、効果を得るまでは半信半疑でしたが、日々瞑想の効果について実感させられる毎日です。正直なめてました笑。

 

・主なやり方

 

1、椅子などに座り、姿勢を正してから、楽にする

2、瞑想したい時間をタイマーにセットする

3、目を閉じて、自分の「呼吸」に意識を集中させる

4、瞑想中にほかのことを考えたり、意識が呼吸以外のことにそれたら、呼吸に意識を戻す

 

こんな感じです。これは僕も実践していますが、とてもシンプルで気に入っています。

 

「呼吸に意識を向ける」というのは、様々な方法がありますが、僕は「鼻の穴の皮膚の温度に注目する」方法で行っています。空気の行ったり来たりが感じやすいのでお勧めです。

 

座って瞑想するこの方法以外にも、食べ物の味に注目する「食事瞑想」や、自分の足裏と地面の密着に注目する「歩行瞑想」など、生活の中で実践できるマインドフルネス効果が得られるものが色々あります。

 

・「マインドフルネス瞑想」の効果

 

一般的には「集中力アップ」や「ストレス軽減」、「うつ病改善」、「感性が豊かになる」など、さまざまな効果があります。

 

特に勉強する人は、勉強の合間に瞑想をする習慣を身に着けることには、メリットがたくさんあります。

 

まず、目が休まります。勉強しているときの疲れは、目の疲れが結構な割合を占めています。目を一定期間閉じ、「暗闇を見つめる」ことで目が楽になり、勉強を再開するのが容易になります。

 

二つ目は、「集中力が高まり、生産性が上がる」ということです。これは僕が瞑想を実践している中で一番実感していることです。瞑想する習慣をつけると、今まで作業をしているときに散逸していた集中を作業に取り戻す力がつくため、より生産性が上がります。「いまここ」を生きる練習をすることは、短時間を大切にするということにもつながり、時間の使い方が上手くなることにもつながります。

 

三つめは、「ストレスに強くなる」です。試験などのプレッシャーの重圧に弱く、緊張しやすいなどという人は、瞑想によって、「メタ認知」(自分のことを客観的に観察する力)が身につくため、そのような大きなイベントでもより自分の力を発揮することがしやすくなると思います。

 

このように、瞑想をすると、考え方もポジティブになりますし、時間への考え方も変わります。今はやりのアドラー心理学は「目標を設定し、瞬間にどれだけの価値を見出すか」を重要視しているように、「いまここ」を生きるということを実感できるのではないでしょうか。

 

では。

 

 

 

「マインドフルネス瞑想」のススメ。その一。

 

こんにちは。ロウです。

 

マインドフルネス瞑想」ってご存知ですか?

とりあえず最初は「瞑想」のご紹介をさせていただきたいと思います。

 

まず、瞑想をしている人にどのようなイメージを持つでしょうか。スピリチュアル、ヤバい奴、なかなか辛辣な意見があると思います笑。

 

日本人は「座禅を組む」なんていう文化もありますから、瞑想している姿なんかは想像はしやすいのではないでしょうか。

 

しかし、実践する人は少ないですよね。そんな中昨今、現代人に瞑想がとても有効だということが、世界中の様々な実験で明らかになっています。

 

そして、日本ではあまりありませんが、世界では瞑想が注目され、様々な実験の対象となり、海外のワイドショーのネタなんかになったりします。

 

上に述べた、瞑想をするメリット、有効であるより具体的な内容は、「現代人特有の疲れ」を回復できるという点です。

 

現代はモノと情報で溢れ、過去の中でもっとも人間にとって様々なことを考えなければならなくなっている時代です。これは、集中力が分散している、ということもできます。つまり、限りある意志力(アーカイブをご覧ください。)がより多く消費されてしまっています。

 

そのような現代特有の「決定疲れ」に対処するための方法として、瞑想は世界中で今注目を集めているのです。

 

次に、「マインドフルネス」について説明します。「マインドフルネス」とは何かというと、日本語で言うと馴染みはありませんが、「気づくこと」という意味です。

 

例えば、普通に生活しているだけでも、様々なところに注意力が注がれます。課題をやらなくてはとか、早くメシ食いたいとか、どの服着ようかな、とか。これはまさに現代特有の決定疲れを引き起こす要因ですが、マインドフルネスとはその真逆の状態で、「一つのことに対して一定時間集中し、普通では気づかないようなことに気づき、新たな発見をする」みたいな感覚になることです。

 

これと瞑想を組み合わせる、「マインドフルネス瞑想」ってのが最近流行っていて、僕も実践していますが、これ結構ハマりますよ笑。

 

その効用なんかについては明日から書いていこうと思います。

 

では。

英語がなくても生きてゆけることの贅沢さ。

こんばんは。ロウです。

 

みなさん、「英語」って習得したほうがいいと思いますか?

 

日本では、「英語が話せなくても生きていけ」ます。以下、そのことについて検討したいと思います。

 

とはいえ、英語が話せれば、世界中の人と会話ができるというメリットがあります。

 

企業ではトーイックの点数が評価され、「これからは英語重要だろ」みたいな風潮なんかもあったりするのではないでしょうか。

 

僕は国際系の学科なた目、いやでも英語を使って世界中の問題を勉強することになり、結果的に勉強しています。

 

で、世界中の状況の知識がだんだんわかってくると、「あれ?日本特殊すぎじゃね?」てな感想を持つようになりました。

 

何が特殊なのかというと、「英語が話せなくても死活問題に発展しない」点です。

 

日本人は、鎖国なんかの歴史を見てもわかるように、孤立した国でした。ほかの国に比べると、国同士の交流を積極的に持とう、というスタンスではなかったと思います。

 

でも、これまでの歴史上、特別困ったことはなかった。やってこれてしまったんです。

 

日本人という民族は世界中でも非常に特殊で、ここまで均質な民族はなかなかいないのではないでしょうか。町を歩けばほとんどの人は皮膚が肌色で、アメリカの「人種のサラダボウル」とは間逆といっていいでしょう。

 

そして、なんといっても日本人は「英語がしゃべれない」。

 

よく日本にくる外人は言います。「日本は英語がほかの国よりも通じない。。。」と。

 

日本人は、「同じ民族の中の仲間内では楽しくやってられてるし、割とみんな幸福に暮らしているから、英語とかしゃべれないでも、現状維持でいいんじゃね。日本人万歳!」みたいな風潮まであります。

 

しかし、世界に目を向けるとどうでしょうか。

 

シリアなどのは「いつ爆撃されるかわからない」なんていうような日本では考えられないような危険な場所もあります。そういう人たちは自分の国にいたい、思わないどころか、こんな危険なところ早く出てほかの国で平穏に暮らしたい、と思うはずです。自国愛なんていうものはとうにないような人たちもいるのではないでしょうか。

 

このような亡命したいレベルの難民からヨーロッパなどにも経済上の理由で移民にならざる終えない人たちがいっぱいいるわけです。そんな人たちが「英語しゃべれない」なんていってられるでしょうか。これはまさに「死活問題」なのです。

 

日本というここまで平和な国がほかにあるでしょうか。いや、ないのです。

 

では。

 

 

 

 

 

 

 

「影響力の武器」が私生活において強力すぎる。その六。

こんにちは。ロウです。

 

今日は六つめで最後の武器の説明になります。「希少性」です。

 

これはわれわれがもっとも日常においてマーケッター側に新をコントロールされる要因になっているのではないでしょうか笑。

 

希少性」は「そのものを手に入れる機会が限られれば限られるほどそのものをほしくなる」という原理です。

 

よくタイムセールなんかで食べ物とかを売ってるやつはまさに希少性の原理を使っていますよね。

 

このように制限される対象は時間だったり、個数とかの場合もあるでしょう。

 

なんか数ヶ月前に豊洲移転問題関係の報告書の記入欄が真っ黒に塗りつぶされた事案「ノリ弁事件」が話題になりましたけど、あれってこの法則からいくと逆効果ですよね笑。

 

あれは僕もすごく気になりましたし、あれでは政治家たちの知的好奇心も存分に刺激することになって、追求は避けられないでしょう。おふざけが過ぎたんですかね笑。

 

あとやっぱり「自分を売り込んでいく」という状況になったときに自分だけにしかない「希少性」を相手に示せたらいいですよね。就職活動や面接、恋愛したいときなどは自分のセールスポイントがあれば相手の記憶にも残りやすいですし、彼らが自分を買ってくれた場合には満足度もあがるでしょう。

 

逆に、自分にしかない「希少性」が存在しない場合は、その他大勢に埋もれてしまい、人生もつまらなくなってしまうんじゃないかなあと思います。(話が壮大になりすぎ笑。)

 

恥ずかしいんですけど僕は大学一年生のときは「あれ?大学生て意味なくね?」ってなって自暴自棄とかになった時期とかあって、悩んだ時期が結構あったんですけど、今は自分が本当に好きなことが「勉強」だと気づくことができて、とても楽しく生活できるようになりました。自分が極められることを見つけられたことはとてもよかったと思います。

 

このように自分が稀少的な存在になっていくことができれば、自分の存在を自分自身で肯定できますし、社会に求められるようにより努力するための奮起力を得ることができると思います。

 

では。

「影響力の武器」が私生活において強力すぎる。その五。

こんばんは。ロウです。

 

今回は五つ目の武器「権威」について考察していきたいと思います。

 

人は「権威」に服従する傾向があり、その「権威」の大きさが大きければ大きいほど、自分の意思による決定ができなくなります。

 

この原理を証明するために、ある実験が行われました。実験を行ったのはミルグラムというアメリカの心理学者です。ミルグラム実験と呼ばれています。

 

実験内容は以下の通りです。登場人物は三種類です。

 

1.「教授」は実験対象を、2.学習者役、3. 教師役に分けます。教師役は被験者ですが、これに対して「教授」と学習者役はサクラで、この存在を被験者である教師役は知らされていません。つまり、教師役は学習者も被験者だと思っている、ということです。

 

被験者である教師役は、教授の指示によって学習者役に対して問題を出します。 もしも学習者が問題を間違えれば、教授の指示で教師役は電気椅子に座らされた学習者に対し、電気ショックを与えます。これをエンドレスに継続し、間違える数が増えれば増えるほど、電圧は強くなり、最大電圧は450Vで、人が死んでしまう可能性があります。

 

学習者は問題を意図的に間違え、最初は余裕にふるまっていた電気ショックに対して、徐々に苦しみ始めます。しかしながら、非人道的なことに、サクラである「教授」は電気ショックを与え続けるように指示します。

 

被験者である教師役はこう思うでしょう。「このまま実験に関わっていれば、権威ある教授の指示とはいえ、殺人に関与してしまうことになるのではないか。。。」と。

 

ここでポイントなのが、実際に電気が流れていない、ということです笑。サクラである学習者は演技をしているということですね。

 

これ、最後までレバーを引いて、450Vまでショックを与え続けた被験者の割合、どのくらいだと思いますか?

 

実際にプロである心理学者の予想は0.1パーセント以下でした。1000人に1人も引かないとの予想だったんですが、実際はなんと65パーセントもの被験者が最後までレバーを引きました。650倍のギャップがあったんですね笑。

 

このような実験は、人間は、特定の「権威」の圧力がある、という状況下であれば、高い確率で殺人レベルのヤバいことに関与することもいとわなくなってしまう、ということを証明しました。

 

人は「権威」に服従することで、自分の意思をコントロールできなくなってしまいます。「権威」と接する場合は本当に気を付けないといけませんね笑。

 

今回は実験内容多めでしたが、いかがだったでしょうか。

 

明日は最終回、「希少性」です。

 

では。

 

「影響力の武器」が私生活において強力すぎる。その四。

こんばんは。ロウです。

 

今日は四つ目の武器「好意」について考えていきたいと思います。

 

人は他人に「好意」を抱いていると、より親切にしたくなったり、その人のために尽くしたくなったり、一緒に成長していきたい、と思いますよね。

 

まずなぜ、人は他人に「好意」を抱くのでしょうか。

 

著者であるロバート氏は三つの要素があると述べています。

 

1.「自分と似ている」こと

2.「自分のことをほめてくれる」こと

3、「自分と同じようなところを目指している」こと

 

です。

 

1に関してはやはり「類は友を呼ぶ」ってことですかね。経験上やはり友達になるような人は自分との共通点が多いような気がします。

 

2に関してはやはり自分が褒められるとうれしいものです。ついつい調子に乗って相手に対していい気になってしまうこと、ありますよね笑。

 

3について、ときに目標を達成する場合、強い意志が必要だったりします。心が折れそうになったときに立ち直れるような言葉をかけてくれる仲間って、心強い存在ですよね。

 

そして、一応この本のコンセプトの一つとして、「損をしないようにするにはどう気を付ければよいか」ということがあります。

 

とすると、著者の主張したい重要なことは、このような要素から発生する「好意」を利用して利益を得ようとする悪者たちに騙されないように、自分でその都度適切な判断ができるようになる、ということなのではないでしょうか。

 

例えば、好意を抱いている仲間からお金を貸してほしいなんて頼まれたとしたら、断れない人もいるかもしれませんよね。

 

そんな時に、このような原理を知っておくと、より自分がおかれている状況を客観的に観察することができ、より適切な判断ができるようになるのではないでしょうか。

 

となるとやはりこのような原理を学ぶことは有益といえ得るでしょう。

 

僕はこのような原理を知るたびに、ヒトはやはり、安定を求める生き物なんだなあと思います。

 

というのも、結局、自分が抱く好意によって自らが損をしてしまうということは、「自分が好意を抱いている相手との良好な関係を崩したくない」という心理に根本的な原因があるんではないでしょうか。

 

なんて思ったり。

 

明日は「権威」です。これはなかなか面白い実験が行われていますので、紹介しようと思います。

 

明日も早いんでそろそろベッドいきます。

 

 

では。

 

 

「影響力の武器」が私生活において強力すぎる。その三。

こんにちは、ロウです。

 

今日は、三つ目の武器「社会的証明」について考えたいと思います。

 

社会的証明」は、ある行動をする人が多ければ多いほど、人はそれを適切な判断だとみなすということです。

 

例えば、「寄付」なんかが例に挙げられると思います。

 

透明な募金箱の中に何も入っていない場合と、お金がたくさん入っている場合であれば、たくさん入っている場合のほうが周りの人寄付をしてくれる可能性は高くなるでしょう。

 

なぜならば、寄付をするかもしれない人がたくさんのお金を見たときに、過去に募金した多くの善良な人々の姿を無意識のうちに感じ取り、その募金を目的がより正当であるように思えてしまうからです。

 

つまり、その基金には多くの人々のお墨付きが与えられ、社会的証明が付与されているため、仮にそのお金は基金の団体のメンバーが入れたものであったとしても、ある募金者は騙されてしまう可能性があるということです。

 

本の中で僕が面白いと思ったポイントは、社会的証明がときに「悲劇」を生んでしまう可能性がある、ということです。

 

本の中に、あなたが緊急事態に陥(体が尋常ではなく痛い、など)り、群衆に助けを求めなければならない(救急車を呼んでほしい、など)場合、どのような行動をとるべきか、ということについてが書いてありました。

 

仮に助けを求める人が人ごみの誰でもいいから助けてほしいと思っていたため、「誰か助けてくれ!」と叫んだとしましょう。

 

この場合、即座に誰かがすっ飛んできて「大丈夫か!?今すぐ救急車を呼んでやるからな!」ということになるでしょうか。

 

正義感が強く、周りに流されないような信念の強い人がたまたまいた場合、助けてくれるかもしれませんが、大方の人は自分が「特別な存在」になるのを本能的に避け、「周りが助けていない」という社会的証明のために、彼らの行動に期待はできません。

 

この辺は日本人は特にそうなのではないでしょうか。

 

そこで、即座の救助を求める場合の著者のアドバイスとしては、「群中から一人を分離する」ということでした。

 

つまり、「特定の人に特定の救助を求める」ということです。

 

そうすることによって、周りもその緊急事態が認識できるし、直接に課題を与えられた

人たちは行動が明確化されるため、助けてもらいやすくなる、ということです。

 

そういえば免許取るためにAEDの講習受けたときに「あなたはAED、あなた救急車」などとひとつずつの頼みごとを特定の人に割り振っていたような、、、と思ったり。

 

それも、「社会的証明」が生み出してしまう「悲劇」を防ぐための方法なんですかね。

 

明日は「好意」についてです。

 

では。